ペーター・ホゥ『スミラの雪の感覚』新潮社(1996)

スミラの雪の感覚

スミラの雪の感覚

 デンマーク領であるグリーンランドには、カラーリットというイヌイットの一民族が先住していた。デンマークでもトップクラスに裕福な父。イヌイットの猟師だった母は父と別居後、狩りの最中に死体も残さず寒い海で死した。娘スミラは社会に順応できぬまま、父の金で無為に日々を過ごす。そんな彼女の元にある日、突然とびこんできたのが同じ集合住宅に住む少年イザイアだった。母親にネグレクトされ、下着一枚でたたずむ彼はスミラに「お話を読んでくれる?」と問いかけた。人嫌いのスミラはなかば嫌がらせに、手にしていたユークリッドの『原論』を読み聞かせる。それが2人の交流の始まりだった。
 ある日、イザイアは近くの倉庫の屋根から墜落死したところを見つかる。警察は事件性なしと判断。だが人並みはずれて氷雪に勘があるスミラは少年の足跡に違和感を覚える。彼女は恋慕のような、少年への奇妙な執着からたった1人で調査を続ける。しかし彼の死は社会地位の高い人間たちが関わる謎の計画に関わっており、否応なくスミラもその大渦に飲みこまれていく。

 あとがきを見るに作家はミステリを書くつもりでもなかったようだ。後半に出てくる<ネタバレ>隕石によって変異した寄生虫はホラーSFの領域に踏みこみかけているし、筆致は時に文学っぽいし、実はマイケル・シェイボンユダヤ警官同盟』級にジャンルが入り組んだ奇作である。主人公スミラは強気でかたくな、37歳にして思春期の少女のようである。美しく服好き、理数の概念と氷雪の特性に耽溺するという異色なキャラクターだ。
 近年、本邦でも英語圏でもヘニング・マンケルやスティーグ・ラーセンといった北欧のミステリ作家が大ヒット中であるが、本書はブームの10年以上も前に、英語圏で翻訳ミステリとしてウンベルト・エーコ以来の売れ行きを記録したという。(私はBBCのウェブサイトでテーマ別に出題される小説クイズを解いていて、はじめて本書の名を知った。出版当時、日本での評判はどうだったのだろうか?)
 本書はいくつかのパートに分かれている。スミラが時に向こう見ずに侵入も試み、地道な調査を続ける「街」篇3章。冒頭では予想もつかない規模の事件全貌が、その片鱗をあらわにするにしたがって、彼女の身にも危険が及んでいく。そしてついに章末では犯罪者として追われる立場に! つづく「海」の2章ではスミラが敵地そのものの船に清掃婦として乗りこみ、一転して海洋冒険小説の趣になる。解説でもメルヴィルアリステア・マクリーンの名が引かれている。この章でスミラは清掃中にスパイしては危機に見舞われ、幾度も暴力を応酬する。そこに「街」篇でお高い衣装に身を包んでいたレディの名残はない。謎の要人居住区と、積荷が秘める謎、船に蔓延する狂気には奥泉光『神器――軍艦「橿原」殺人事件』を思い出した。
 最終章は「氷」と名づけられている。描写の端々で読者は、氷山へ船が進むと共に、凍死のように静かに避けられない破滅が忍び寄ってくるのを感じるだろう。敵にも味方にも非人間性を指摘されるスミラは「強い女」とファムファール*1の2面性を持ったユニークな主人公。ときに内心で不謹慎な欲望を抱えるし、行動は誰が見ても破滅的でクレイジーだ。結末がはっきりと書かれていないラストシーンは、彼女が氷上をひた走るもので幻想的ですらある。アンナ・カヴァンやJ・G・バラードが描く硬質な「停まった世界」が忘れられない諸氏、本書の終焉はいかがだろうか?
 なお、敵役の動機は大変しょぼいし、スミラの指摘どおり、あまりにも考えがなさすぎる。要は金と名声への渇望の卑しさってことなのだが、いくらなんでも小物すぎやしないか。

*1:日本人なら雪女を想起するだろう。