L・デイヴィッドスン『極北が呼ぶ』(上・下)文春文庫(1996)

 *本稿は前のブログの再録・改稿である。

極北が呼ぶ〈上〉 (文春文庫)

極北が呼ぶ〈上〉 (文春文庫)

 スリリングな冒険物。幕開けは壮大だ。4万年前に死んだネアンデルタール人の美女がそっくり綺麗な姿のまま氷から発見され、スパイ衛星はロシアの火災現場で奇妙な映像をとらえる。友の呼びかけに応えるためだけにシベリアへ向かう決意を固める主人公は、カナダ・インディアンの学者である。といっても、ただの学者ではない。トリックスターのトーテムであるレイヴン(ワタリガラス)を出自とし、生まれながらに天才的な語学の才能と、人種が特定できない外見という2つの武器を持っている。彼が韓国人からイヌイットまで様々な民族に化けて、ロシアの秘密研究所への潜入と脱出を試みるのをハラハラしながら見守るのが楽しい本なのだ。どうだろう、そそられる粗筋ではなかろうか? 極北で密やかに研究されていた技術の内容は超科学というか、だいぶ昔の娯楽SFみたいな代物なのだが、そこは割とさらっと流される。しいて言えばピーター・ディキンスンに近いのだろうか、きわめて異色なエスピオナージュである。
 潜入方法が、まず日本へ入国して韓国人船員として船に乗りこみ、わざわざ疫病を発症してロシア領で下ろしてもらうというやたらと迂遠なやり方なのも愉快だった。後述する『スミラの雪の感覚』もそうなのだが、この時代の冒険小説は主人公を先住民族の出自にしたり、奇妙な科学的発見を謎として大ネタに持ってきたりと試行錯誤著しい様子だ。