シェリー・プリースト“Boneshaker”(2009, Tor)

 SF・FT界で、09年もっとも脚光を浴びた小説といっても差し支えないだろう。スコット・ウェスターフェルドが表紙に寄せた言葉は、

 軽快な調子と壮大さを併せ持ち、すばらしく書きこまれたスチームパンク・ゾンビ・飛行艇アドベンチャー

 である。これで著者の知名度は飛躍的に上がり、本書はネビュラ賞ヒューゴー賞ローカス賞の三大賞すべてで最終候補作となっている。
 読んだ印象を平たく言えば、宮崎アニメ的なメカが登場する冒険譚俊敏系ゾンビ親子の絆もの改変歴史小説だ。キャッチーかつエンターテイメントな設定に弱い読者が、これでどんどん釣り上げられた。スチームパンクとゾンビがそれぞれ一定数のファンを抱え、それなりに受けることは本書の発売時にはすでに確定していたようなものだった。それらを合わせて幅広く読者を集める小説に仕立てたのはまあ、シェリー・プリーストの功績と言えるかもしれない。ずいぶん流行という追い風に助けられた小説であるとは思うのだが。というわけで、以下あらすじ。
 
 舞台は19世紀、米国のシアトル*1
 ロシア帝国にとって領地アラスカ州は悩ましい存在であった。これまでは無益な地であったが、金脈が眠っているという噂がでてきたのだ。実際に掘って確かめてみなければわからないため、政府はシアトル在住の若き天才科学者レヴィティカス・ブルーに、凍った強固な地面を掘りぬける機械の試作をたのんだ。かくして生まれたのが「ブルー博士の骨まで揺るがす驚異のドリル・エンジン」を搭載したドリル工機、通称ボーン・シェイカである。
 ところが初のテストの際、ブルー博士が乗るドリル工機はシアトル中の地下を暴走してまわった。あげく、地下深くから掘り跡を通じ、謎の有毒気体が這い登ってくる。のちに“破滅ガス”と呼ばれるようになったこの気体は、吸った者から正常な意識を奪い、生肉を好む野獣へ変えてしまうゾンビ化ガスだった! 幸い破滅ガスは非常に重い気体だったため、街の人間たちはガスが蔓延する中心部を高い壁で囲い、封鎖したのだった。ボーンシェイカーと博士の行方は混乱の中、わからなくなった……。

 それから15年ほどが過ぎた。ブルー博士の妻だったブレアは旧姓ウィルクスを用い、「町外れ」と呼ばれる壁の外側で静かに暮らしていた。夫がすべて元凶だったのみならず、父親がガスが街中を侵食した際に刑務所破りを行ない、囚人たちを開放したことから白眼視され、憎まれてなお彼女は懸命に生きる。なぜなら息子のゼクことエゼキエルを抱えているから。南北戦争が終わり、安全に暮らせる大都市ができたなら誰も事情を知らないところへ引っ越すこともできよう。だが、まだ動くことはできない。
 
 15のゼクは難しい年頃で、ブレアとたびたび衝突する。そしてついにある日家出し、父と祖父の名誉を回復する証拠を求め、地下通路を抜けて封鎖都市の内部へ侵入する。いつ破滅ガスが噴出してくるかもわからない街へ、ゴーグルとガスマスクをにぎりしめ……。折りしもシアトルは地震に襲われ、ゼクの使った地下通路は崩落によって消えてしまう。ブレアはなんとかしてゼクを追おうとする。彼女が思いついた侵入方法は「空から」だった。
 破滅ガスは処理により麻薬(通称「レモン汁」)に変わるため、荒くれたちが飛行船に乗りこみ、壁の内側へ調達に忍びこむことは珍しくない。ブレアはかつて彼女の父に助けられた元囚人があやつる小型艇に乗せてもらい、荒廃した故郷へ降り立つのだった。
 (以上導入部)

 壁の内側で母子が遭遇するのは、15年以上も閉ざされた街に生き延びてきた奇妙な住人の数々だ。ろ過した空気を定期的にポンプで放出している中国人移民団、潜水服のような重装鎧でゾンビと戦う男、メカニカルな義手の老婆が経営するバーと仲間の老人たち、謎めいたネイティヴ・アメリカンの老婆(通称“プリンセス”)などだ。そして驚異の科学製品を提供し、死んだ都市を支配する科学者「マインリヒト博士」――彼こそははたして生き延びたレヴィ・ブルー博士なのか?
 
 基本的にはゾンビに追われるところで物語を緊迫させてひっぱるという、ゾンビを動力にしたプロットだ。登場人物たちは逃げ惑うことによって新たな場所に行き、新たな人物に会う。だからゾンビが出てこない前半は地味で陰鬱で、正直だるい。一気に魅力的になるのは、バーの老人一団が登場するあたりからだ。「自衛の用意はできている」と言った瞬間、老人たちが手に手に武器を抜いて見せるシーンにしびれる。ひときわ輝くのがバーをひとりで切り盛りする老婆ルーシー。一旦は避難したものの、封鎖が始まった街に駆け戻って夫を探し、ゾンビ化した彼に噛まれて片手を失った設定だ。愛した街とバーから離れられない彼女が、機械の義手でゾンビを撲殺し、ブレアを助けて共闘する姿は熱い。
 こうした設定の数々は魅力的なのだけれど、やはりサスペンス性をかなりゾンビに依存*2しすぎではないかと思う。「レモン汁」みたいな、登場したはいいものの途中から出てこなくなる素材も散見される。小説の技法という点では、今後の成長を期待したいところだ。それでもガンアクションやメカに対する興奮で、つい熱心に読みふけってしまう。だからこそ戦闘以外の場面が「地味で陰鬱」、テンポも遅いという印象に終わるのがもったいない。SFマガジン2010年6月号に掲載された「タングルフット」なんかは、シェリー・プリーストの持ち味が活かされていない例だろう。この人は「燃え」を書いてこそという作家だ。少なくとも今のところは、アイディアをつめこんだ小説でなければ面白くならないタイプなのだ。ちなみに本作以前は南部ゴシック小説風のダークファンタジー三部作などを上梓しているが、さほど話題になっていなかった。ダーク小説ウェブマガジンChizineで書評を数本書いていたそうで、確認したら何年も前に私が読んだことのある記事も書いていた。

 今秋、本シリーズ(そう、シリーズ!)の長篇Dreadnoughtが刊行される。次巻の主人公マーシー・リンチはバージニア州リッチモンドの病院ではたらきながら、消息不明の夫のゆくえに日々心を悩ませていた。そんなとき、父親が危篤状態に陥り、最後に彼女に会いたいと願っているという電報が舞いこんだ。父がいるというのははるか西のワシントン州タコマ。マーシーは東西大横断旅行を余儀なくされる。ミシシッピ川を越えたセント・ルイス以降タコマに向かうのは、驚異の馬力を誇るドレッドノート・エンジンを搭載した重装甲蒸気機関車の1路線のみ。東西をつなぎ、開拓地へつづくこの機関車は強盗の襲撃に備え、武装を固めていた。この先にあるのは、それだけの用意が必要不可欠の、危険な地域なのだ。ふたたび夫と父が不在の女性が主人公のようである。
 また来月Subterranean Pressから出る短めの長篇Clementine]]も、BoneshakerDreadnoughtと同時代を描いた小説で、こちらの主人公は女スパイ。ピンカートン探偵社やらなんやらが登場するエスピオナージュであるらしい。もうお気づきだろうが、シェリー・プリーストの一連のスチームパンクシリーズに共通するのは、南北戦争が実際よりかなり長く続いていることだ。1880年いまだ戦いの終端は見えず、ゆえに蒸気機関開発の競争が激化、現実より発展した機関が開発される……というわけである。

 著者お得意の「歴史上の人物を直接登場させず、地理以外はあまり現実に沿わないアクションアドベンチャー」になにかとの相似を感じた。よく考えてみたら成田良悟だった! 地名や歴史から読者の想像力や興味を引き出すところが似ているように思うのだが、どうだろう。すこし時代はずれるが、『バッカーノ!』の1930年代編とかスティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ、西へ行く』なんかを楽しんだ私のような人間には、設定だけでたまらないものがあるのではなかろうか? ただ私が上に上げた2作や“Boneshaker”を楽しむのはあくまで冒険小説としてである。スペキュレイティブもしくはサイエンスな要素は少ない。よって、かなり狭義のSFを期待してよめば首をかしげることになるだろう。大昔のSF、「ヴィクトリア朝空想科学小説」のようなSFといえば推測がつくかな。

 というわけで好きにも嫌いにもなりきれない一作だった。映画でいえば『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』とか『ヴィドック』みたいなポジションのはず。不朽の名作にはならないかもしれないが、雰囲気にホイホイ引き寄せられる人は出るし、それなりに楽しめる……という意味で。映画といえば、映像化すればもっと良くなるかもしれない。そういうキャッチーさが魅力の小説だ。

Boneshaker (Sci Fi Essential Books)

Boneshaker (Sci Fi Essential Books)

*1:SFセミナーの時に「シカゴ」といい間違えたような気がする。シしかあってない。すみません。

*2:いつ誰がゾンビになるかわからない/いつゾンビが出てくるかわからないドキドキ感。