チャイナ・ミエヴィル“The City & The City”(2009, Macmillan)

 チャンドラー、カフカブルーノ・シュルツらに捧げられた、著者初の異色警察小説。

The City & The City

The City & The City

 ※ネタバレなし。
 昨年、代表作『ペルディード・ストリート・ステーション』の邦訳がついに刊行されたミエヴィル。その最新長篇が本書である。これまで異界の混沌ばかりを描いてきた著者初のミステリは、やはり一筋縄ではいかない作品だ。

 この世のどこかにある架空の東欧の一都市Beszel。いまだ古ぼけたこの都市には、きわめて特殊な伝統があった。Beszelと、イスラム・アジア圏の影響色濃い近代都市Ul Qomaは、まったく同じ場所に存在しているのである。二都市は同じ場所に混在しながら、言葉も文字も文化も異なる別の国である。両都の民は生まれながらに、一方の民はもう一方に属するものを認識してはならないという絶対の掟に支配されていた。同じ道路に二重に名前がつけられ、なるべく見ないようにしながら異国の車と人間が道を譲りあう。幼少の頃から異国のものを見ても見ないように訓練された住民たちは、たとえ近くで発されても異国の言葉を聴き取ることはない。
 「違反」は決して許されず、片方からもう一つの都市に移動するには相応の訓練を積み、きちんとした出入国の手続きを踏まねばならない。(地球上での位置はまったく同じにも関わらず、である!) 外国人も入国前にもれなく訓練を受ける必要があり、万が一「違反」した場合は国外退去を命ぜられる。そう、二都市のそこかしこに常に「違反」がないか見張る黒衣の「違反監視者」たちが潜んでいるのだ。

 そんなBeszelで、若い女性の死体が投棄されているのが発見された。特別犯罪捜査班チャドール・ボルル警部は忽然と消えた犯人が、不法に都市間を移動したのではないかと思い至る。死体はアメリカ出身の考古学研究者マハリア・ギアリー。Ul Qomaで、カナダの大学教授らと発掘調査をしているはずの人間だった。地道な調査によりボルルは、彼女が愛国右翼に目をつけられていたこと、そしてBeszelでもUl Qomaでもない第3の都市Orcinyの伝説に興味を持っていたことを知る。Orcinyについてはヒッピー文化が流行ったころ、ある学者が『都市と都市の狭間に』という研究書を出版して注目されたが、いずれの都市でも禁書の扱いになっており、国外からもオカルト的なトンデモ本と見なされている。
 何が真実で、誰を信じればいいのかもわからないまま、ボルルは孤軍奮闘を続ける。いや、独りではない。Beszelでの部下、女性警察官コルウィ。Ul Quoma側でこの事件を追う捜査官クシム・ダット。彼らとの信頼関係を礎に、ボルルは大きな陰謀へ立ち向かうことになるのだ。

 ミエヴィルの長篇の中ではかなり読みやすく、尺も短い。しかし、はじめのうちは明らかになる材料があまりにも少ない。舞台となる場所によって本書は大きく3部に分かれるのだが、1部目のBeszel篇は壮大な助走という印象でさすがに長さを感じた。2部のUl Quoma篇ですら、まだまだヒント集めが続き、話が本格的に動き出すのは後半なのである。また、右翼とお上*1の頭の固さがやたらとボルルを阻むのも、PSSに続いて著者が自分の思想を押し出しすぎのように思う。
 本書は設定されたロジックからは最後まで決して逸脱することなく、超常的な要素は一切でてこない。明かされる動機があまりにも地に足がつきすぎているというか、地味で卑俗なため、せっかくの大掛かりな舞台設定と釣りあわないという意見も出てきそうだ。また、ボルルがなぜここまで事件に入れこむのか、なぜ各国における相棒を無条件に信頼するのか、その辺りに殆ど説明がないのはお約束と思って目をつぶるしかない。

 瑕疵ばかりあげつらったが、架空の世界観を存分に活かしたアイディアの数々は実にユニークである。ボルルはUl Quomaへの移動にあたり、フライトシュミレータのような装置を用いて、自分が見るべき文化を反転するための訓練を受ける。そして、眼前にいるのに別の国に存在するため見ることができず、触ることもできない暗殺者とのチェイス。そして真犯人を追い詰める際も「違反」が重要になってくる。奇妙なルールに縛られた登場人物たちの活動を読むのは、未知の鬼ごっこを観戦しているかのような気分にさせられる。特異な状況設定下のミステリ、西澤保彦山口雅也あたりの著作に目がない読者には強くお勧めする。

 信念をもって巨悪を追う警部の格好よさと、彼を待ち受けるあまりに切ない運命は必見。3部以降の展開は作中ルールがあればこそというものだ。というわけで『ユダヤ警官同盟』の次は、これが邦訳して広く読まれてほしい。本書もSF・ファンタジーのファンよりはハードボイルドファン向きである。だが立場や見方によって世界が変わる面白さは、ジャンルの壁を越えて共有されることを願いたい。

 追記:なんかマヌケだったので地名のカタカナ表記を英字表記に変えた。動画でミエヴィルが読んでる通りにカタカナ化しても、どこか違和感がある……。

*1:管理機構といったほうがいいか。「違反」システムそれ自体と両国の警察機関。