本年度ネビュラ賞ショートストーリー部門

 ネットで公開されているもののみ、今夜ざっと読了。もう完全に内容を解説しているので、ネタバレを気にしない人のみご覧ください。すごい適当なレビュー。

  • Saladin Ahmed “Hooves and the Hovel of Abdel Jameela”

  (Clockwork Phoenix 2, Norilana Books, Jul09)
 マイク・アレンというエディター/アンソロジストがいる。アメリカ人で本業は新聞記者。10年近くファンタジー出版界に足を浸しているという。Clockwork Phoenixは彼が手がける書き下ろしファンタジー傑作選シリーズで既刊3巻。
 そこから今回候補に選ばれた「アブデル・ジャミーラのひづめとあばら屋(仮)」はアラビアン・テイストのファンタジー。著者はアラブ系アメリカ人作家/詩人である。

 一介の医者にすぎない主人公は、愛する女性が死にかけの富豪に嫁がされるのを手をこまねいて見ていることしかできなかった。なんとか手を尽くして女性の父に働きかけようとするものの、地方へ左遷されてしまう。
 彼の送り出された土地には、ジャミーラという隠者と、身体を黒い布で覆い、決して他の村人と交流しないその妻が住んでいた。ジャミーラは村に流れ着いた妊婦が生んだ子供で父親はどこの誰ともわからず、ある程度成長してからはずっと村から距離を置いて暮らしていた。そのジャミーラに病んだ妻を治すよう頼まれ、主人公は彼の庵へ訪れる。

 定番おとぎ話+微SF。エイリアンとも魔神ともつかない、どこか遠くから来た異種族「妻」は様々な生き物が混ざりあった怪物のような姿。テレパシー能力を持っている。このままここに留まれば「妻」は弱って死んでしまというので、夫妻は「妻」の故郷へ行くことを決めていた。しかし夫アブデルも老いて弱っており、このまま旅立つことはできない。そこで「妻」は主人公を導き、夫の足を切断して新しい足を付け替えようと試みる! というわけで、妻が病気だというのは主人公を連れてくる口実にすぎなかったのだ。
 ところが手術はうまくいかず、夫の命は風前の灯火に。と思ったそのとき、夫に新しい足が生える。実はアブデルも人外の血を引くものだったのだ。新たな足の誕生を介助した主人公は、夫妻に感謝のあかしに宝物の山を贈られ、晴れて愛しい女性と結ばれるべく故郷へ帰っていく。めでたしめでたし。
 古い民話のパターンを用いてつむがれた新しい民話。テレパシーで意思と共に色々な芳香を伝えてくる、不思議な「妻」の存在感が印象的だ。揃ってひずめでトコトコ去っていく夫婦がほほえましい。

  • N.K.Jemisin “Non-Zero Probabilities”

  (Clarkesworld, Nov09)
 〈クラークスワールド〉は幻想小説を中心とするウェブマガジン。現HaikasoruエディターのNick Mamatasは以前ここに所属していたが、なにやら掲載作の質に不満があったようで辞任したという経歴の持ち主。各号の表紙はインターネット上で作品を発表する新鋭イラストレータの手によるものが多く、掲載される作家も新人が多い。すでに中堅クラスの者も少なくないが。というわけで同誌は「ハイ」や「ヒロイック」がつかないファンタジーの供給源として定番化し、今回はショートストーリー部門に2作品を送りこんでいる。
 さて著書のJemisinは、アフリカ系アメリカ人女性。本業はカウンセラーだそうだ。Orbitから出て間もないファンタジーが処女長篇(3部作予定、2巻は今秋発売)という新人だ。自分のウェブサイトのプロフィールにおいて、フェミニスト、アンチレイシストであることを宣言している。
 本作の舞台は、なぜか物事の確率がおかしくなったニューヨーク。「みんなで祈ってすべてを正常に戻そう!」という宗教活動が活発化する中、主人公はその流れに乗らない。
 かなり短いし、はっきりした説明も筋も存在しないアーバン・ファンタジー。雰囲気が好きな人はかなり気にいるようだが、一方でピンとこないという意見も多い。残念ながら、私も後者。

  • キジ・ジョンスン“Spar”

 (Clarkesworld, Oct09)
 動物ファンタジイの人という印象だったジョンスンの、新境地となる衝撃作。なにせ一行目からこれである。
 「ちいさな救命船の中で、彼女とエイリアンは休みもなく、容赦もなくファックし続けていた。」
 
 人間の宇宙船とエイリアンの宇宙船(どちらも小型)の衝突事故が起きた。原因は不明。なぜかエイリアンの救命艇に拾われた人間の女性は、自分以外の唯一の生存者であるエイリアンと船の中で交わり続け、助けを待つ。時間の感覚もなくなり、相手と意思疎通できない。船は狭い。二体はよくわからないままにお互いを貪って生きる。
 エイリアンは骨がなく繊毛?が生えていて、性別もよくわからない。物語の最後に訪れる変化も、もたらされるのが希望か絶望かは明かされない。終始もやもやした短篇だ。
 「極限の中では異種族同士でも支えあえる」とポジティブに読めなくもないが、事故のショックと閉鎖空間で狂った女性をひたすら綿密に書いた話とも考えられる。説明がないので、すべては読者に委ねられている。ショッキングだが目が離せない。とりあえず近年のヒューゴー・ネビュラ候補作の中でも、トップクラスの問題作ではなかろうか。これほどストレートに人間の生と性を直視させるような海外SFと久しぶりに遭遇した気がする。今後もジョンスンは要注目。
 (6/26追記)
 上記の誤記を削除。「二本足」が印象に残りすぎてて混ざったようだ。ちなみに触手姦はパルプでキャッチーすぎる単語なので、未読者に妙なバイアスを植えつけないために、ここで最初にレビューを書いた際はあえて使わなかったもの。
 以下、Twitterで書いたことを一部再構成した。
 主人公が状況に適応してああいう状態/適応できなくてあの状態、そのどちらを代入しても通じる話で、たぶん最適解はない。異質なものも怖いが、あれだけの異常な状況下に適応して慣れていくのもそれはそれで怖い。
 いわゆる「方程式もの」は倫理方面に訴えるか、生き延びるためのハードSF(パズラーというかサバイバルというか)になることが多いように思う。で、Sparは倫理ではなく、本能(無意識とか内面と言ってもいい)のほうにスポットが当たってるんではないか。つまりSparは、冷たい方程式もの(ただし証明不能の)と考えることもできる。
 答えをしぼりこむに足る要素が用意されてないからこそ、本作には色々考える楽しみがある。解釈・深読みできる余地のおかげで、他人の解釈を読むことでこの小説がもたらす内容はさらに広がりを見せるのだ。この、外側より内側のほうが広い構造物のようなところが魅力である。

 ついでに映像化すれば成年指定も確実だろうこの話が、なぜこんなにエロくないかを考察してみた。理由はやはり、主人公の適応にあるのではないか。ずっと訳もわからないものと行為に及ぶのが、彼女にとっては普通のことになってしまっている。エイリアンを受け入れることによる本来生じてしかるべき物理的な違和感(痛み、快楽)は、本作の主人公には縁遠い。むろん、本当は彼女にも違和感があるのかもしれない。しかし文章を眺める程度では、穴という穴で触手と交わるのは彼女にとって、耳にピアスをつけてるか、鼻にティッシュを詰めているレベルと大差ない体験なんではないかとすら思えてしまう。身体性に関連する描写のタッチがひどく客観的だからだ。いうなれば「全裸が映った医学用の映像」みたいな感じ。そら、エロくならんね。

 ところで、この短篇を読んで「女性って怖い」という発言をしていた方が何人かいた。私が考えもしなかった意見で、どうやって導き出されたのか気になるところ。「常時、異物を受け入れたままで平気そう」「長い間、一緒だった異物とあっさりオサラバ」 これらの妙にあっさりとした割り切りは、妊娠出産できるシステムを持つ女性だからできた行動*1と考えたのだろうか? 理解できなくはないが、女性だって普通の出産でも不安は強いだろうし、作中のような状況ですぐショック死する人もいるはず。
 舞台となる救命艇は、ふつうに考えれば保育器・生命維持装置みたいな、人間を包みこんで守ってくれるものというイメージ。これは確かに子宮のイメージとつなげられなくもない。ただ侵入してくる異物(本来の意味でのエイリアン)が、主人公に欠片なりとてもアイデンティティを保たせる役割を果たしている不思議がミソなんでないか。作中には、エイリアンが彼女を侵している*2ように、彼女もエイリアンを侵しているという文もあった。
 いずれにせよこの話で、内部/外部、同じもの/異なるものという対立関係が無効になっている、もしくはねじれているのは間違いない。

 あとTwitter論議をしてた中で、タイトルがなぜSparなのかと考察した人はいたっけか? おそらく辞書でまっさきに出てくる「円材:boom, gaff, mast, yardなどの総称だろう。そう考える根拠はいくつかある。海洋用語→宇宙を航行している、触手→円材の形状の相似、深読みするならば精神的な柱(拠り所)も。

  • ジェイムズ・パトリック・ケリー“Going Deep”

 (Asimov’s Science Fiction, Jun09)
 人々が宇宙に出た22世紀。成年は引き下げられ、クローンはもはや珍しくない。老母のクローンである思春期の少女は、部屋のAIや母親、ボーイフレンドに反発する年頃だった。
 この2行がすべて。フラストレーションと諦念に満ちた青春の話である。部屋AI自身が主人公の「ベルナルド・ハウス」(SFマガジン2005年10月号掲載作)は面白かったのに、主人にあたる立場の人物が視点になると途端につまらない。ちなみに主人公の家庭はロシアがルーツらしく、みな名前がロシアン。

 少なくとも現在のところはウェブで公開されていないのがこちらの2作。

  • “I Remember the Future,” Michael A. Burstein (I Remember the Future, Apex Publications, Nov08)
  • “Bridesicle,” Will McIntosh (Asimov’s Science Fiction, Jan09)

 というわけで、4本の中ではサラディン・アフメドとキジ・ジョンスンを推したい。いずれも異種族との交流もの。各作品のリンクや、別部門のノミネート作品はこちらで参照あれ

*1:もしくは「執筆できた話」

*2:誤変換じゃないよ