英国SF協会賞候補 短篇部門その2

  • ユージイ・フォスター“Sinner, Baker, Fabulist, Priest; Red Mask, Black Mask, Gentleman, Beast

 ネビュラ賞候補でもある作品。『SFマガジン』の「マガジン・レビュー」欄では川口晃太郎氏が「罪人、麺麭職人、偽善者、司祭:赤い仮面、黒い仮面、紳士と野獣」とタイトルを訳していた。それにしても長い。
 その街では、定められた時間を除き、すべての人間が常に仮面をつけている。住民はみな無数の仮面を持ち、毎日つけかえてはその仮面に沿って生活する。社会的役割――職業も性別すらも、すべては仮面によって変わる。ルールは厳格、同じ仮面ばかりを着けてはいけないし、仮面の下が誰であるか知ってはいけない。

 物語を彩るのは、色とりどりの仮面。最新の香水。街を統べる『女王』と彼女からの招待。そして懸想した女性から提示される妖しいゲーム。
 はじめはこのまま流麗な筆致で耽美な物語が続くのかと思った。正直、それっぽい雰囲気だけを売りにした、筋すらあいまいな作品ではないかという危惧さえあった。ところが話の向かう先はいい意味で予想を裏切ってくれた。

 冒頭で、中心人物らしき男が妻と揉めて刺され、いきなり死ぬ。この古めかしい芝居じみた一幕が終わると、何事もなかったかのように翌日が訪れ、男と同一人物らしきキャラクターが別の仮面を選ぶシーンが始まる。読者を惑わせ、ぐっと世界に引きこむ仕掛けの巧さには恐れ入る。読み進むにしたがい、誰もが仮面で装う世界では死すらもごっこ遊びにすぎないのとわかる。仮面をつけた状態での「殺人」はその日与えられた役割に従った、ただの演技であるのだ。

 物語は主人公が「個」を取り戻すところで終わってしまう。この後、世界が変容するかどうかは書かれていない。せっかく組み立てられた世界観がこれだけで終わることをもったいなく思った。個人名すら存在せず、個体としてのアイデンティティを持てば和を乱すとして本物の死を与えられる世界観は、まぎれもなくディストピアSFである。狭義のサイエンス・フィクションではないが、SF好きの心もつかむファンタジーだと思う。ノヴェレットサイズでさえなければ、それこそ『SFマガジン』のファンタジイ特集への登場もありえたのではないか。役割や性別が仮面で変動するのは能面・狂言面を思い出すし、個が飛び出して調和を乱すことを嫌う未来という設定は、日本人が実感をもちやすいものであるし。
 山尾悠子『仮面物語』や、飛浩隆がSFMに連載中の『零號琴』などと比べて読むといいかもしれない。仮面という題材のみならず、美学が張り巡らされた文章、見事に構築されたひとつの世界観でも共通する小説だから。