英国SF協会賞候補 短篇部門その1

 まず3篇読む。完全にネタバレのため、注意。候補作全リストやネットで読めるものへのリンクはこちら

  • キム・レイキン=スミス“Johnnie and Emmie-Lou Get Married”

 敵対する走り屋チームに属しながら愛し合ったジョニーとエミー・ルウが、愛の成就のために文字通り障害を乗り越え、教会めざして大レース。『ウエスト・サイド物語』を引き合いに出して語っているレビューが多い。レースものだけに文章がポップで疾走感があったら良かったのだが、難しい言葉や英語以外の言葉が頻出するため、非ネイティヴには読みづらい。こういう文体でこんなストレートな話を読まされても……という気持ちになった。

 イタリアのシュルレアリスト、クアリアと組み、イアン・ワトスン(67)が近年あちこちの媒体に寄稿したbelovedシリーズのうち1篇。内容の過激さから書籍としてまとめて出してくれる出版社探しに難航したようで、結局イギリスの作家イアン・ウエイツの運営する小出版社Newcon Pressから発売された。おそらく刷部数も相当に少なく、発売からまもなくしてほとんどのネット書店で在庫切れを起こした。以下、長いので解説は下記に。

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 明らかに頭のスペックが出力に追いついていない。歯がゆい。
 なんとなく頭の中で方向性が繋がっているので、自宅の壁に貼ってあるものから下記を紹介。18〜19世紀に妄想された気球?
 
 それから初台オペラシティでの鴻池朋子展で買い占めた絵葉書。すべて書籍にまつわる。これも。

山尾悠子『歪み真珠』(国書刊行会)

 (メモ:後で消すかも)

 15篇がひっそりと収まっている掌篇集。うち、既にどこかで発表されたものは4篇、残りが初出である。
 読み終えて、ハギレの束という印象を受けた。これは決して貶し文句ではない。
 娼館であるとか、足であるとか、本書の端々で読者はこれまでに出会った物語の名残りを目にする。『ラピスラズリ』関連作、影盗みの話、「遠近法」に出てくる《腸詰宇宙》の話、季刊『幻想文学』に掲載されていた夜の宮殿の話。まさか再び目にするとは思わなかったあれやこれや。以前からのファンならば面影にはっとするものがそこかしこで覗く。いずれも掌篇サイズだが、もちろん目を凝らせばしばしば緻密さに驚かされる。
 小さくとも厚みがあり、手がこんでいるし、陳列はきわめておごそかだから、束といわず「布の標本集」といったほうがいいかもしれない。あらゆる時代と場所から集められた、色とりどりの布きれ。中には、つい同じ素材で作られた「大風呂敷」も見てみたいと思ってしまうものもある。

歪み真珠

歪み真珠

 さて、下に特に好きなものを並べてみる。

 悲しくいとおしい、蛙たちの物語ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」
 台座つきの美の女神が空を飛んでいる――タイトル通りの奇妙な目撃譚「美神の通過」
 「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」ある島を巡る様々な逸話が開陳される。ぐっとこないわけがない。
 向日性の人間たちが住む町「向日性について」
 抑制具合がたまらない。品良く隠された部分に想像力がいや増す紫禁城後宮で、ひとりの女が」

 山尾悠子は幻想的な作風だけれども、作中世界観に筋が通っている。きちんとした理に沿って世界の中のすべてが動いている印象を受ける。「紫禁城〜」終盤での変身は特に極まっている。あらかじめ必要なだけの説明が与えられているから、この展開が腑に落ちるのだ。時たま「本格ミステリ」や「ハードSF」ではフェア/アンフェアという言葉が持ち出されるが、彼女の書くものはこの上なくフェアなファンタジイだ。隙がなく、密度が高く、鉱物的。精密に動く時計の中身を見た時のように、素人でも反射的に「すごさ」と「強さ」が判る。これを待っていた。


 ところで先述のように、この本は過去の作品とつながりがある。これを初めて読む著作にするのも、それはそれで贅沢で素敵だが、いずれにせよ『山尾悠子作品集成』とセットで読むことを推奨したい。
 追補:あいかわらず造本も最高である。

本年度ネビュラ賞ショートストーリー部門

 ネットで公開されているもののみ、今夜ざっと読了。もう完全に内容を解説しているので、ネタバレを気にしない人のみご覧ください。すごい適当なレビュー。

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ウラジーミル・ソローキン『青脂』(早稲田文学)

 3分の1*1のみが早稲田文学3号に訳載された、伝説の珍作である。せっかくなので紹介記事を書いてみた。ネタバレなし。

 時は21世紀も後半。永久機関のような炉に必要な20キログラムの『青脂』を採るため、遺伝子研-18に科学者と軍人が集められる。語り手ボリスも召集された一人だ。機密保持のためか、外との交信手段で許されているのは伝書鳩のみ。彼がモスクワにいる同性の愛人へ鳩で送る手紙という形式を使い、物語が進んでいく。

 『青脂』の収穫法とはいかに。有名な古典作家・詩人のクローンが執筆活動で生みの苦しみを味わい、限界まで作品を書き上げたのち、仮死状態に陥る――その肉体に蓄積される謎の成分こそが青脂だ。クローンといっても見た目がそっくりなわけではない。1月6日の手紙において紹介されるのは、オランウータンそっくりのトルストイ4号(「オリジナルとの相関係数73%」)、しじゅうプルプル震えている赤毛の太った女性ナボコフ7号(同89%)、キツネザルそっくりのパステルナーク1号、性別不明で骨が異様にあちこち発達しているドストエフスキー2号など7体のクローンだ。
 語り手ボリスは愛人に、実験の経過報告と各クローンが残した原稿そのものを送りつづける。この偽作がまた揃いもそろってとんでもないのだが、内容は読んでのお楽しみということで。


 さて書簡形式といっても、これがなかなかのくせものだ。中国語*2を中心に時に英語や独語、仏語が混じる。そこに、我々には皆目見当もつかない、未来の比喩表現や固有名詞まで加わるのだから恐ろしい。たとえば罵倒語「リプス」。付属するプチ造語辞典によれば「2028年のオクラホマ核災害において、勝手に被爆地に残り、25日に渡って死にゆく自分の状態を実況放送したアメリカ海兵、ジョナサン・リプス軍曹の苗字」が元ネタであるという。英語におけるfuckのように使われる。

 ところで、登場する造語の多くは性表現にまつわるものである。読者は、未来人のあけすけな表現(と思われるもの)の大群に圧倒されるだろう。本作に官能的という言葉は似合わない。ずばり、下品だ。「遺伝子研-18は尻を思わせる二つの巨大な円丘の間に隠されている。」(p. 594)という文章をはじめとして、この小説は星とかとか肛門のanalogy(←と書くと意味深)にはことかかない。親切にも冒頭の訳注5にはっきりとそう書いてある。
 そもそもソローキンが、はじめのラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の一節を引用をもって「俺は得意の下ネタを一切自重しないッ!」という宣言に代えているのは、火を見るよりも明らかである。なぜなら『ガルガンチュアとパンタグリュエル』もまた、そこかしこで糞尿ネタにまみれた逸話が飛び出してくる小説だからだ。ひょっとすると一番有名かもしれないのが、尻ふきについてガルガンチュアが一席ぶつシーン。用を足したのち、尻をふく素材に試行錯誤した経験を語るものである。ガルガンチュアは帽子やら頭巾、植物いろいろから始まって猫やニワトリまで試し、ベストは生きたガチョウと公言してはばからない。この小説からのステキな引用は、まちがいなく子供のように自由奔放にやってやるぜという著者のサインだろう。
 というわけで、前半は刺激的でよくわからない文体にひたすら翻弄される。言葉にもみくちゃにされる。こいつは大したアトラクションだ。まだ買っていないというそこの貴方も、一丁もまれてみませんか?(以上セールス終わり)

早稲田文学 3号

早稲田文学 3号

 読了者向け・科学者たちの秘密レシピ
 掲載された部分以降、クローン体による抱腹絶倒のパロディ小説は出てこないようだ。では、あの後どうなるかというと、伝書鳩が飛ばされつくしたので手紙が再開するのは雛が育つ数ヶ月後、4月になる。科学者たちはめでたく20キロの青脂を収穫し終わり、お祝いに乱痴気騒ぎを繰り広げる。もちろん、大いに飲む。そして文中に登場するカクテルレシピが下記だ!

  • ドイツ系のウィッテが作ってくれるカクテル:トロピカルカクテル「チチ」のロシア+ドイツバージョン。

 ウォッカ1:ブルーキュラソー1:白樺の樹液1:ココナツクリーム1:カルーア1:羊*3のクリーム1さじ:アヴェンティヌス(すッッッごいダークなビール)1

 直後に「そして青紫色レーザー光を加える」ってプロセスがw

  • 上海人ファン・フェイがシェイカーを振って作るのがこちら。

 トマトジュース5:酒精3:アカアリ2:しょっぱい氷1:赤トウガラシ1さや。

 むろん、中国人が作ったから真っ赤なカクテルなのだろう(国旗と共産主義のイメージ) ソローキンは明言せずにいろいろな遊びを盛りこんでいるので、それを探すのも本書の大いなる楽しみ。チチのほうはブルーキュラソー+脂肪分で「青脂」、それにアルコール分をウォッカとドイツビールで増量ということではないかな。

 さて物語はパーティの最中にとんでもない方向へ転がりだすのだが、ロシア語がほとんどできない私は一杯やりながら更なる翻訳をおとなしく待つとする。アカアリは用意できないし、白樺の樹液も実家近辺じゃなきゃ売ってないけど。

*1:先述した、ソローキンのサイトで公開されている全文を確認したところ、正確には10分の3くらいだった。

*2:日本人は、翻訳に際して漢字表記されているため、文中の中国語を推測することもできよう。原文は発音のみが書かれているだけだから、さらに辞書の必要性が高いに違いない。

*3:乳かな?

メフメット・ムラート・ソマー“The Prophet Murders” (2008, Serpent's Tail)

 前に紹介した本の感想を書く。いつも以上にレビューのクオリティが低いのは、きっと残念賞だったから。

 トルコの、あるミステリシリーズが08年末から続けて英訳されている。著者はメフメット・ムラート・ソマー*1(Mehmet Murat Somer, 1959-)。現地では2001年から刊行開始したもの。
 ソマーは工科大学卒業後、ソニーのエンジニアとして就職。この頃から小説を書くことを志すが、当時はいいアイディアが浮かばず、書けないままCitibankに転職する。しかし90年代半ば、ソマーは健康上の問題で2度の大手術を経て療養を余儀なくされることになる。この機会を利用し、彼は執筆活動を開始した。
 彼の好きな小説家はバルザック、それからカポーティ、クリストファー・イシャーウッド。また、パトリシア・ハイスミスの『リプリー』と『ヴェネツィアで消えた男』、それからオルハン・パムク『わたしの名は紅』などを愛してやまないという。60年代から西洋文化がトルコへ流入し、英米ミステリ・ハードボイルドが読める環境が形成されたが、ソマー自身は幼少期はどぎつさが苦手であまり好まなかったそうだ。(参考:英語版Wikipedia)
 果たしてどんなものか、第1巻を読んでみた。

 舞台はイスタンブール。名が語られることのない「主人公」はプログラマ業を片手間に、いわゆるオカマクラブのママをしている。自分のところの店子ではないものの、若い女装娘(クィア)たちが連続して死んだ。警察は街娼同然だった彼女たちの捜査をまともに行わず、当初は事故として処理する。ところが死んだクィアたちは皆、本名がコーランに出てくる預言者*2と同じだった。偶然にしては出来すぎている一致。更に死体が発見されるにあたり、主人公の知人や店子も大パニックに陥る。かくして事件を解決しようと、彼は探偵の真似事を始めるが……。

 主人公はしいて分類するならば、女装好きのゲイ。店の若いクィアたちと違い、性転換する気はない。好きなタイプはきちんとした服装の年上の男で「男相手も女相手も試してはみたが、どうもタチ役は駄目みたい」とのこと。男性の服装をしているシーンも多い。
 著者はまだ性的マイノリティが主人公のミステリが少なく、世間でのおかまへの悪印象も根強いことを払拭すべく本シリーズを書いてみたそうだ。

 作品自体の評価だが、良くも悪くもとにかく軽い。読みかけを長らく放置していたのだが、本腰を入れて読み始めたら薄さも手伝ってか、残り3分の2以上を4日もかからず片づけることができた。各章は非常に短い。
 本書の問題は、おもに登場人物の大半があまりに頭を使わず、直感で行動するところにあると思う。フィクションにリアリティを求めすぎるのは野暮というものだが、いくら何でもキャラクターを無鉄砲な行動に走らせすぎだろう。たとえば「主人公」は捜査の第一歩として、異性装者が集うネットのフォーラムで、いち早く事件を知り女装者の死は神罰だと繰り返し書きこんだユーザーをハッキングし、彼の所在を突き止める。そこまではいいのだが、主人公はここでいきなり彼を事件関係者と疑って特に準備もせず自宅に突撃してしまう。ちなみに、荒らしの正体は先天的に歩くことができず、車椅子生活を送っているプログラマの若者で、主人公の熱烈なファン。ひそかに主人公のPCをハッキングさえしていた。この男、腕前はいいのだが、重度のマゾヒストのため情報を与える対価として主人公に殴ったり蹴ったりしてもらおうとする!

 ※ここからネタバレあり、注意。
 中盤以降はさらに無軌道になり、主人公が<ネタバレ>独断で犯人に目星をつけて証拠を集め、どんでん返しもないまま、やっぱり犯人だったと判明する</ネタバレ>残念な展開である。さすがにもう少しひねってもよかったのではないか。いくら謎解きには重きを置かない本だとしても、犯人をロックオンしてから解決に至るまでの長さはなんだったのかと思わざるを得ない。

 主人公の長年の知人ポンポンさん(本名ゼケリヤ=聖書ではザカリア)が連続見立て殺人に怯え、彼の自宅へ転がりこんでくる。リーダビリティにも大いに貢献してくれる、お節介好きのなかなか強烈なキャラクターだ。しかし肝心の物語がここまで一本道だと、さすがに部分部分のユーモラスなシーンだけで支えきれるものではない。クライマックスでさえ主人公はピンチに際して無力なので、悪党が逮捕されても今ひとつ爽快感がないのも痛いところ。

 以上、読みやすさとエキゾチックさでおまけしても、5段階中3というところだろうか。「ミステリ風味」のロマンスか日常の物語といったほうがよく、ちょっと期待していた方向と違った。日本で一番近い作品はきっと西澤保彦森奈津子もの。あれからファンタジック要素と実在作家ネタを引いて、プロットを平板にするとこんな感じ。ネタ的にも。

 ちなみに本シリーズは、トルコでは《Hop-Ciki-Yaya》*3シリーズ、英語圏では《Turkish Delight*4》シリーズと呼ばれている。本国では既刊7巻、以下続刊予定だそうだが、英訳されているのは現在のところ3作目まで。なお著者自身は「友人たちに散々疑われたがヘテロ」だという。

The Prophet Murders (Hop-ciki-yaya)

The Prophet Murders (Hop-ciki-yaya)

*1:ソメルと読むのだろうか。とりあえず、ここでは英語読みで。

*2:キリスト教と共通のもの

*3:チアリーダーの掛け声、転じてオカマ・オネエを意味する死語だそうだ。

*4:「トルコの悦楽」の意味だが英語でぎゅうひ菓子のこと。トルコの作品であること、水商売にまつわる話であることを暗示するこの命名はうまい。

雑談

 ひさびさの更新。昨日はなんとなく、以前に英国幻想文学大賞の短篇部門にノミネートしていた Simon Strantzasの"Pinholes in Black Muslin"を読んだ。初出はThe Second Humdrumming Book of Horror Stories(2008)で、Readerconなどで販売されたTUNDRA: THREE CANADIAN CHILLERSというカナダ人3人による3篇のホラーが収録されたチャップブックに再録され、現在はまるごと公開されている(http://www.oozingbrain.com/blog/tundra.pdf
 地味なホラー。コミュニケーションが苦手で星に詳しく、科学コーナーを担当する書店員が知人らと一緒にキャンプに行く。しかし、翌日になると空は奇妙に暗くかげり、何人かが行方をくらましていた。そのうち謎の強風と砂嵐が彼らを襲って……という話。怪奇現象の一切に説明がなく、不明瞭さに不安がつのる。結局その「穴」はなんなの!? 映像で見るとただのバカホラーになってしまうので、映像化してはいけないと思った。タイトル通りといえばタイトル通りの話。

 ところでSebastien DoubinskyとRobert Freeman Wexlerという2作家が気になっているのだが、どっちもお高めだし日本から買うのが面倒な感じ。PS Publishingめ……。